妙義神社|【更新】改めての妙義神社

以前来たのが今年の3月頃だったと思いますが、改めて早朝散歩でよってみました、妙義神社。

工事終わってますね。

まずは階段を上がると手水舎があります。

綺麗に花が浮かべられていて何だか気持ちが良かったです。
龍が兜を被っているのも七五三が近いからですかね。
当たり前なのかもしれませんが、凛とした雰囲気の中にもこういった茶目っ気が感じられる部分が何ともほっこりしました。

本殿です。こちらは特に変わりはないですね。
で、本殿からちょっと左に目を移すとこんなのがありました。

厄辰石って何でしょう?

厄災落としの作法が書いてあります。
是非是非やりたかったのですが、残念ながら<厄災玉>がありませんでした…
まぁ、早朝だったのでしょうがないですね。今度は日中に来て是非やってみたいです。
投げた石が自分に跳ね返ってこないように注意が必要かもしれません…

銭洗辨財天様もいらっしゃいます

銭洗辨財天様もいらっしゃいましたよ。

美人祈願ってのもあるのですね。

なんかご利益ありそうな感じが伝わってきます…

勿論、太田道灌も祀られています。
勝負の神様ですよね。

辰の日カレンダーです。
週末に当たるのは、次回12月17日の土曜日ですね。
何時からやられているのかは分かりませんが、今度は厄災落としもしてみたいので12月17日に来られたら来てみようと思います。

近接するマンションのエントランスがあります

最後に、以前来た時には建設途中だった隣のマンションが完成してました。
驚いたことにマンションのエントランスが神社境内に繋がっていました。
マンション出たらすぐに妙義神社ってのもなかなかですね。


(以下、以前の記事です)

最近、週末は健康の為にも、色々探索するためにもブラブラと田端+半径2㎞ぐらいの範囲を歩き回っております。で、田端のお隣の駒込まで足を延ばした際に見つけました。

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住宅街の中に突如として現れた妙義神社

突如として現れたと言うと、ちょっと大袈裟かもしれませんが、隣でマンションの新築工事が進行中だったりしていることもあり、結構「えっここに!」って印象でした。

1300年の歴史を持つ、豊島区内最古の神社

本殿、正面から見るとこんな感じになっております。
こちらの妙義神社、

およそ1300年の歴史を持つ妙義神社は、駒込に鎮座しております。
伝承によれば、日本古代史における伝承上の英雄 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が、当時東国にいた民族である蝦夷を討つために東征した際、この妙義神社がある場所に陣営を構えたと伝えられています。
人々は、御威徳慕い尊びまつりこの地に社が建てられました。
日本武尊が白鳥に生まれ変わり飛び立ったという伝説から、白雉(はくち)2年(651)5月12日、白鳥社と号しました。
豊島区内では最古の神社として伝えられています。
・・・中略・・・
その後、文明9年(1477)春、平塚城(現在の東京都北区上中里)を拠点とし関東管領上杉家に反旗を翻した豊島勘解由左衛門を討伐する際や(長尾景春の乱)、同11年(1479)春、室町幕府に造反した千葉孝胤を攻める際にも道灌は当社に必勝を祈願し、見事勝利を収めました。
当時、当社境内には稲荷山という小高い山があり、道灌は稲荷山に立ち豊島氏の平塚城を望みながら戦略を考えたのではと思われます。
この様なことから、当社は当時から「勝負の神様」「戦勝の宮(みや)」と呼ばれることとなり、人々よりあつい信仰を集めました。

~妙義神社HPより~

「勝負の神様」と、言うのはいいですね。

本殿の上部にはこんなものが飾られていますし、左右の柱には龍が彫られております。

色々なグッズ?が販売されています

グッズと言っていいものか?ではありますが、境内色々見て回ると色々売ってます。
まず、色々なお御籤がありますよ。

いきなり、リラックマと言うのもなんですが、色々選べるのはいいですね。

室町中期の武将・歌人である太田道灌公も祀られています

太田道灌公も右側に祀られています。
後ろの住宅とのアンマッチ感が何とも不思議な感じがします。

順序逆になりましたが、神社入口の鳥居です。
こちらの階段上って行ったところに本殿があります。階段の両側にある幟旗が先程のやつですね。

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次回は、週末の辰の日に来てみたいと思います!


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